小さな組織ほど Beingが具体的で、経営者個人の考えが如実に反映されます。
大きな組織になればなるほど、Beingの構成要素は抽象的になっていきます。

それはどちらが正しいかという問題ではなく、組織の規模やあつかう商材などによって変わってきます。

ではこれが、国レベルとなると目指すべきBeingはほとんど明示されることはありません。

 

それが政治と企業経営の違いで、企業経営のノウハウをもって政治で活躍というのは少しナンセンスです。どちらも違うマネジメントであるべきだし、違うマネジメントが必要なはずなので。

一方で、目指すべき共有のBeingがないことが国家レベルでのマネジメントを困難にしていると私は思います。

例えば、アメリカは機会の平等と自由と、それに伴う自己責任の国です。
機会の平等が最重要だからこそ、企業など組織のマネジメントにおいては 言葉を選ばずに言えば、過度に人柄を排除します。面接する際の履歴書などにも、年齢や性別を書くことがNGであるように。このことが、日本的マネジメントとの大きな違いで、どちらが効率的かは議論の余地があるように感じますが。同様に、中国は・北朝鮮は…などとその対局にある国の文化を想像してみるのもよいでしょう。

では日本の国民のBeingとは何なのでしょうか?

このあたり、社会が成熟して幸せになっているからこそ薄くなってきている、というよりも、もはや存在していないように感じています。

しかし実際はそれが存在して無意識のうちに扱われている。

本来は日本国民のBeingが何なのかの共通言語化、可視化は必要なのかもしれません。

 

(文責:三原)