2年前の夏休み、ハワイへ向かう飛行機の中での話です。
食事のサービスも終了し、機内の照明も暗転し、睡眠タイム。前の席の男性の頭上に、客室乗務員さんの呼び出しボタンが点灯しました。すぐに飛んできてくれた客室乗務員さんに件の男性は、「水」とだけ言い放ちました。ご推察のとおり、待てど暮らせど そのお水は彼の手元に届きません。結局彼はふてくされて寝てしまいました。
今度は私の隣に座っていらした初老の紳士が「ホントのホントのお手すきで構いません。ホノルルに到着するまでには、で結構ですのでお水を一杯頂けますか?」とささやきました。まだホノルルまでは4時間か5時間はかかるはずです。客室乗務員さんはそれを聞くとクスッと笑って、すぐにお水のペットボトルを持ってきてくれました。

同じ料金を払っているのに、相手によってサービスを変えるとは何ごとか!と憤る向きもあるかもしれません。でも人間は理不尽な生き物です。
経営学者の楠木建さんの言葉を借りると「一貫性が無いという点において、一貫している」というくらい 我々人間は言行が見事に一致しないわけです。同じ料金を払っているから、一様に相応なサービスを受けられると思ったら、残念ながらその先の価格以上のナイスなサービスや楽しみを知らずに人生を終えることになります。
みなさんの中で映画館を出たあとカフェでお茶をしながら、延々と「いかにその映画が面白くなかったか」をお相手に語っている方はいませんか?
サッカーのスタジアムから駅への道すがら、「いかにその試合が退屈だったか」を熱弁していませんか?
レストランでの食事のあと、「いかに自分はもっと良いお店を知っていて、そのお店に比べて、このお店がイケてなかったか」をアピールしていませんか?
往々にしてこういった場合、「面白くなかった」のではなく、あなたが「面白がり方を知らない」だけ、
「楽しくなかった」のではなく、あなたが「楽しみ方を知らない」だけ、
「美味しくなかった」のではなく、あなたが「美味しい食べ方を知らない」だけ、です。
日頃あなたがレストラン、ホテル、飛行機、タクシー、携帯ショップ、病院の受付、コンビニのレジなどで受けている扱いが、あなたが他人にしている振る舞いと同等レベルだと思ってほぼ間違いありません。
以前、糸井重里さんが「”広告のつくり方講座”よりも、”すばらしい消費者講座”に通ったほうが、じぶんと世界の役に立つように思う。”すばらしい消費者講座”なんてないんだけど」とおっしゃっていましたが、まさしく言い得て妙の、”客論”だと思いませんか?
(文責:田中)