
前回までの論理でいくと、良い客であれば、行く先々のお店がだいたいは”良いお店”になるはずであります。
あるレストラン店員さんから教えて頂いたのですが、「①普通に来店して、②普通にお召し上がりになり、③普通にお金を払って、④普通にお帰りになる」人が良いゲストであるとのことでした。
ボクらがもし「良くないゲスト」と認識されているとしたら、拍子抜けするほど簡単なこの4つのステップを踏めていないということになりますね。これしきのことが成し遂げられないとは、なんという体たらく。
プロ野球の名監督 野村克也氏も座右の銘のように使っていた「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉からも分かるように、我々が失敗している場合は、往々にして本来踏まねばならぬ定石を、見事に踏み外していると考えて間違いなさそうです。
訪れる店訪れる店の満足度が何だか低い、ホントにロクなお店がないなぁと思っているヒトのうちほとんどは、お店との組み手の組み方がなっていないだけです。柔道や相撲といった相手と取っ組み合うスポーツを観ていると顕著なのですが、対戦相手のレベルが違いすぎると相手との呼吸が合いづらかったり、組み方がしっくりしてなかったりして、チグハグな取り組みになるパターンが散見されます。

これをレストランとその客の関係性に照らし合わせてみても同じ話。
つまり、まだそのお店を楽しむレベルにないというだけです。出直します、というだけのことです。それが高級レストランだろうが、ファミレスだろうがです。
ボクらは社会というものがあるから存在しているのであって、社会人とは、社会とあうんの呼吸を交わしながら生きてゆくものです。レストランはそれ単体で存在しているのではなく、ゲストと相互補完関係を為して成立しているわけであります。
朝の満員電車で、やれリュックが当たった、肘がぶつかってるなどと、憤ったり、夕方の首都高速の渋滞でクラクションを鳴らしてイライラしている御仁を目にしますが、都会とはそういうものです。皆がちょっとずつの我慢と気遣いを世の中に差し出して過ごしている場所です。
レストランやホテルもまたしかり。幸い、便利なご時世になりましたので、わざわざ外に出向かなくても、AmazonやUBER EATSといった素晴らしい仕組みがありますので、それはそれで十二分に楽しむことができます。
こんなことが、なんとなく肌で分かってくると、あら不思議。ボクらの周りに「良い店」がいつの間にか増えているではありませんか。。。なハズであります。
(文責:田中)