
お蕎麦屋さんで積年の悩みが晴れた話です。
今も昔もビジネスシーンでサッとお腹を満たせるお蕎麦屋さんは心強い存在です。ビジネスパーソン漫画の金字塔、島耕作でも何度も蕎麦ランチのシーンが出来てきますよね。
ところでお蕎麦ほど、うんちくや作法と相性が良い食べ物もなかなか無いのではないでしょうか。もしくは、お蕎麦を好んで食べたくなるお年頃と、うんちくを語りたくなるお年頃が似ているのかも知れません。
「新蕎麦はまずは香りを嗅いで、何もつけずに」とか「薬味はつゆに溶かさずに蕎麦に乗せて食す」とか。
その中で最たるうんちくは、誰もが一度は聞いたことがある「蕎麦はつゆに1/3くらいだけ浸して食べる」というのはまさに大人への通過儀礼という感じです。
でもですね、ボクとしては「うーん、何か窮屈だなぁ、ジャボっとつゆにツケたいなぁ。。。」と何度思ったことか。
奇跡的に東京大空襲の被害を免れ、いまも当時の様式の風情ある建築物が数多く残る神田須田町に「まつや」という明治創業のお蕎麦屋さんがあります。
ボクは古くからの友人の石川君と毎年二人で年も押し迫ったころに、一年の総ざらいを兼ねた年越し蕎麦を このまつやで食べます。焼海苔、かまぼこ、焼き鳥、天種をチビチビつまみながら、年頭の意気込みからどう右往左往してこの年末を迎えているかを、どちらからともなく問わず語りします。
そしてシメのお蕎麦に向かうワケなんですが、あるテレビ番組を境に「お蕎麦屋さんで食事するのも良いもんだなぁ」とふと気が楽になったんです。
まつやのご主人が、レポーターから「やはりご主人、お蕎麦は先だけちょっとおつゆに浸して食べるのが粋(イキ)ですよねぇ」とお決まりのボールを投げかけらたときでした。当然、我々視聴者も、お蕎麦の老舗、大御所の「そうさねぇ、やっぱりそれが江戸っ子の粋(イキ)ってもんよ」的な返答を想像していたのですが、その淡い期待は嬉しくも見事に打ち砕かれました。

写真はイメージです
ご主人の返答はこうです。
「そんなの美味しくないでしょ〜。やっぱりおつゆにジャブジャブ浸して食べるに限りますよ。だって、おつゆが美味いんですもん」的なお話でした。
このご主人の言葉、けだし名言、我が意を得たりであります。あらゆる試行錯誤の末に導き出した、シンプルかつ強力な結論。食通が語るうんちくの数々が雲散霧消するほどの重み。外野ではなく、内野(ものづくりの当事者)のむき出しのエッセンス。
何を言うかより、誰が言うかの極致を見せられた気分でした。それからというもの、お蕎麦屋さんで過ごす時間の充実度が飛躍的に上がったのは言うまでもありません。
とかく一家言ある常連だけが幅を利かせそうな業態であればあるほど、店主のこういったささいな一言、スタンスが良い客筋を生むものと思われます。
楽しみ方は客に委ねる。一見の客に肩身の狭い思いをさせない、一見の客が一見に見えない。そして、感じの良い常連たちが、そのまわりで上手く雰囲気を作ってくれる。
うまいだ、まずいだの域を超越した、これぞ地道に良質な仕事をしている良店にしか出し得ない芸当に身を委ね、懐の深さに浸ろうではありませんか。
とまれ、食後に同じく空襲をかいくぐった歩いて2分の「竹むら」でお汁粉を軽くすすって仕上げるパターンは、大先輩ビジネスマンをお連れすると「いやー、昨日もこの流れだったよ」とまさかの連日カブりを犯してしまう可能性がありますのでご注意ください。
逆に後輩をお連れすると、時間と空間のショートトリップ感が大層喜ばれます。なお、同一エリア、同パターンで、かんだやぶそば(蕎麦)→竹むら、ぼたん(鳥すき)→竹むら、いせ源(あんこう鍋)→竹むらという水平応用が効きますのでご参考まで。
(文責:田中)