
予算や目標は必達か?守るべきものか?
これ自体は、各社の考え方に多くの違いがあるものだと思います。あるいは、場合によっては社内でも上司(=個人)によって予算や目標への向き合い方が違うのではないでしょうか?
実際に予算についての教育を受けることもなくマネジャーになる方もいますから、社内で「予算」とは何か・「目標」とは何か を、明確にする必要があると私は考えています。
ちなみに、我々Plan・Do・Seeでは「予算」は必達ではありません。というのも、「予算」を必達にすることで起きる「おかしなこと」があるからです。

以前は私達も「予算」は正しい指針であり、「予算」を達成した、守った人たちが褒められ、「予算」に届かなかった人たちが叱責されるという時期もありました。
そうなると当たり前のように、責任者は自分が達成しやすい「予算」をつくり、かつその予算の難易度がどれだけ正当かをプレゼンすることに注力し始めます。
そして「予算」が達成されそうになると、その年度の実績がさらに上がらないように努力が始まります。なぜなら、翌年の「予算」がさらに上がってしまうからです。そうならないようにギリギリで「予算」を超えることが最も重要なことになってしまうのです。
さらに叱責されている部署は、そもそもの「予算」の在り方や作り方で不満をつのらせます。責任者にとっての重要な能力は、いかに達成できる「予算」を通すかということになってきかねません。
実際に、ある企業に勤める友人が、「予算をつくって通せたら僕の仕事は8割終わったようなもんだよ」と言っていました。
もちろん管理すべきものもあるとは思いますが、この「予算」の考え方は正しいのでしょうか?
こうならないために、自社にとっての「予算」がどんなものなのか、どのように「予算」を使うかを、社内で共通認識にするものが良いのではないでしょうか?
投資家など、その事業と常に伴走していない評価者が絡んでいる以上、一筋縄では行かないこともありますが、「予算」とは何かを再度改めて考えてみてはいかがでしょう。
【ちなみに1】
弊社Plan・Do・Seeでは、絶対値でしか扱わず、対予算費はあくまで目安でしか使わないようにしています。絶対値をよりよくしようと努力し続ける姿勢を評価するようにしています。
【ちなみに2】
予算を使い切ったかどうかが重要となっている国の「予算」の扱い方が、様々な不具合を起こしているのは多くの人が感じていることではないでしょうか。
(文責:三原)