
2007年に日本ではじめて働きがいのある会社ランキングが発表されて約15年。「働きがい」という言葉が広く浸透するとともに、ブームになったり落ち着いたりしながら、この概念が「はたらく」ということをどう捉えるか様々な議論を引き起こしたと思います。
私も多くの経営者の方々や人事に関わる方から「どのようにすれば働きがいのある会社にあるか」と多くの質問をいただきました。
一方で、“「働きがい」は必要なのか?”や“働きがい搾取”のような議論も増えてきました。“働きがいを採用時に前面にPRしている会社は、ブラック企業なのでは?”という猜疑心も生まれていると聞くこともありますし、実際そのような側面がないわけではありません。
「働きがい」があると言うことは「もっとよくしよう」という意欲が強くなりますから、その意欲を持てない人には非常に居心地が悪くなるかも知れません。

そもそもダイバーシティや人の多様性を認めるなら、その人ごとに「働きがい」は違うもののはずです。
「うちの会社を働きがいのある会社にしたい」
「うちは働きがいのある会社ですから安心して入社してください」
というのは私には違和感を覚えます。
「働きがいのある人が集まる会社」なのだと思います。
万人にとって働きがいがある会社などというものは存在しないはずです。どういう人にとって、どんな働きがいがあるのか。個人個人にとって違うように 会社ごとに違うはずなのです。
ところが、会社の知名度や待遇やその他があり、しかもほとんどの内情は全く分かっておらず、その上 会社も個人も自分たちを少しでもよく見せようとするわけで(これらは決して否定するものではなく、ただそうあるというだけです)、その会社にとっての、自分にとっての働きがいが、見えなくなってしまうんですよね。
どんな人にとって、どんな働きがいを感じるか。
程度の問題もあるようですが、それを明確にし続けて、その人たちにとって、働く個人と会社にとって 相互にWin-Winの関係なのかをもっと明確に知り合うことが大切だと考えます。

経営にとっては、この「どんな人にとって どんな働きがいを感じるか」ということを定義して、さらにお客様、提供する価値、収益から次の再投資をどこにして、更にどのように価値を高めるか、というのを一気通貫でつなげて、はたらくの価値を改善し続ける。
こういうことが重要なのではないかと思います。
つまり会社の経営や方針も、人事の各担当も、就職する人も働く個人も「働きがい」というBIGワードを目標や言い訳にせずに、もう1歩突き詰めて考えてみることがよいのではないでしょうか。
(文責:三原)