数年前に、Google社の「心理的安全性」という言葉が注目を集めました。効果的な成果を生み出せるチームの共通項を調べたところ、学歴や人種や出身地などの組み合わせに因果関係はなく、「一緒に働く他者に対しての配慮があり、他者の反応に怯えたり、羞恥心を感じたりすることなく、自然体の自分をさらけ出すことのできる環境や雰囲気がある」という点が共通だったとレポートされています。
このことは一緒に働く人が、Beingを認められている、自分のBeingに対する安心感があるからこそDoingを発揮することに邁進できるということを表しています。
協働するメンバーとの信頼関係があるからこそ、チャレンジができたり、新しいアイデアが生まれたり、他人の目を恐れることなく思いきり仕事ができる環境をつくれるのです。
BeingとDoingは優劣でもなければ、反対の概念でもありません。
同一視されるものでもありません。
BeingとDoingをそれぞれ独立したものととらえること。
Beingを尊重し、そうするからこそDoingを高めることも求めるのです。

先日、自分が尊敬している上司はどんな人で、なぜそう思ったかというヒアリングをメンバーに行ったところ、下記のような意見が多くみられました。
「自分の今の状況もよく理解してくれた上で、信じて仕事を任せてくれた」、
「私はあなたの頑張りを誰よりも見てきた。だから自信をもってやりなさい。責任は私が取るからねと言ってくれた」、
「○○はよく頑張っている。でも自分の能力をもっと信じたほうが良い。君ならもっとできるはず」。
つまり自分自身や自分のがんばる姿勢など(=Being)を認めてくれて、そのうえで高い期待(=Doing)を寄せてくれた人でした。それはBeingの承認だけでもなく、Doingを求められただけでもなく、両方を認めて期待してくれたからなのです。これも、自分の人生を振り返ってみると、上司部下の関係だけでなく、部活やサークル、親子などいろんな関係性で同じことが見られるはずです。
仕事においては、お客様にDoingを求められています。そして、目に見えるものでしか評価は公平にできないという事実もあります。多くの人がDoingを求められていると感じるからこそ、まずは、一緒に働くメンバーのBeingを尊重すること。Beingを認め合う組織こそ、より高い成果を達成しやすくなります。つまりBeingを尊重してDoingを高めることは理想論のように聞こえながら、最も合理的でもあるはずなのです。